1.歯ブラシはいつ頃できたでしょうか? どんな歯ブラシで歯を磨いた?
古代エジプト(BC3000頃)の「チュースティック
」
古代インドの釈迦(BC5世紀)が広めた「歯木」が歯ブラシの元祖
古代エジプトでの「チュ-スティック 」と古代インドでお釈迦様(BC5世紀)が広めた「歯木」が歯ブラシの始まりです。ともに、ある種の木の枝を切ったもので歯を磨くものです。どちらも、木の枝の一端を歯で咬んで柔らかくクシャクシャにして、その部分で歯を磨きます。
古代エジプト(BC1500頃)ではチュ-スティック
に練り歯磨や粉歯磨をつけて磨きました。この練り歯磨きは、世界最古のもので、パピルスの中にその処方が書いてあります。
古代インドではニームという木が用いられ、樹液の中にはむし歯や歯槽膿漏(歯周病)の予防薬が配合されていたのには驚きです。
6世紀頃、マホメットも釈迦と同様に「歯木」で磨くことを広めました。中国では、インドから仏教伝来以来、楊(柳)の木でつくられた楊枝を使って磨いました。唐の時代には、楊枝で歯を磨き、歯磨剤として「塩」を使う風習があったそうです。また、晩唐には指で歯を擦って磨くことも行われており、敦煌の壁画の中に見受けられます。
ヨーロッパでは、「布」や「海綿」で拭いたり(磨くのではなくて拭いたようだ)、「木片」や「金属」の鋭利な尖端で、歯と歯の間の掃除を爪楊枝のようにして掃除したようです。フランス料理のナイフとフォークの中にこの金属製のものが並べられたようです。
日本では仏教伝来と共に、楊枝はインド(歯木と呼んだ)からがアフガン-中国-日本に伝わった。日本では歯木のことを「楊枝」、房楊枝」と呼びました。
947-956年頃の平安時代の古文書に一般人の歯磨きのことが記載されています。
鎌倉時代の吉祥山永平寺の口中清浄法(1250年)に歯磨きの正しい仕方が詳しく書かれているのは興味深いものです。
平安時代から鎌倉時代には、すでに民間で楊枝が使われていました。平安時代には竹の楊枝もあったようです。また、楊枝と共に爪楊枝は平安末期頃から使われ、歯と歯の間の詰まった食べかすを除去するのに使われました。
江戸時代には、一般庶民に広く普及し、楊枝は全盛期を迎えます。特に、吉宗の頃「さるや」という楊枝屋の楊枝が有名で、この店は300年経った今なおも日本橋で営業しています。柳屋」の看板娘のお藤さんも有名で、お藤さん目当てに男性が多くたむろしたとのことです。また、江戸時代には楊枝だけでなく、中国の晩唐でもあったように、指に塩をつけて磨くことも行われていました。
このように、明治初期まで楊枝が使われましたが、次第に「現在の歯ブラシの形に似た歯磨き道具」に移行し始めました。
インドの歯木(エジプトのチュースティック)⇒ 楊枝・房楊枝⇒ 明治初期のクジラ楊枝⇒?⇒歯ブラシ
2.現在の歯ブラシの形になったのはいつでしょうか?
日本では明治末期
中国では10世紀
西洋では17世紀 中国が一番!早かった
日本では、明治初期。「楊枝・房楊枝
」に変わり、「クジラ楊枝」に変わりました。田部其外らが当時、インド(イギリス領)から伝わってきたのをまねて、クジラの髪と、馬の毛を合わせてつくったのが歯ブラシの始まりと言われています。
しかし、まだ歯ブラシとは呼ばれずに、「クジラ楊枝」と呼ばれました。大阪を中心に販売されました。
明治24年には現在とまったく変わらない形になりましたが、まだ誰も「歯ブラシ」とは呼ばれませんでした。
明治末期頃、やっと歯ブラシと呼ばれるようになりました。”歯ブラシ”という呼び方がされたのは、ライオン(明治29年)から販売された「ばんざい歯ブラシ」で、旧東京歯科大学の”歯ブラシ研究会”の指導を受けつくられたと言われています。
中国では、959年頃、現在と同じ様な形の歯ブラシがお墓の埋葬品から発見されました。柄は象牙製、刷毛は動物の毛。道元(曹洞宗)が宋に留学中(1223年)に、牛の角製の「現在と同じ様な歯ブラシ」の柄に馬の毛を植えたものが使われていたと、「正法眼蔵」の中で記述しています。しかし、宋の時代には一時歯磨きがすたれ、僧侶による楊枝の使用がなかったと、同じく道元が記述しています。
西洋では、17世紀代に「現代と同じ形の歯ブラシ」がつくられました。しかし、18世紀になってもまだまだ歯ブラシは使用されなかったようです。一般家庭での歯磨道具はもっぱら、木片や布、スポンジが使われて磨い(実際は、磨くことより含嗽したり歯を拭くことが主なようだ)ていました。
贅沢品であり一般庶民には高嶺の花。一部の貴族達や、上流社会で使用されたにすぎなかった。
3.歯磨き剤はいつの時代につくられたでしょう?
日本ではAD3世紀の応神天皇の頃。
古代エジプト(BC1500頃)新王国18王朝時代の頃。
日本で歯磨剤が使用されたのは、応神天皇270-310(宇美神社の祭神)、仁徳天皇313-399の頃と言われています。それも塩歯磨きで磨いたであろうと。
552年、仏教の伝来と共に中国から「楊枝」と共に、塩で磨くことも伝えられたようである。根拠は中国の唐の時代に、歯は「楊枝」で磨き、歯磨剤として塩を使う風習があった事実を、奈良時代や平安時代の遣唐使・遣隋使が日本国内に伝え帰った。
701年の
大宝律令制定により、日本の医療制度が確立されたことは周知の通りである。診療科目の中で歯科のことは”耳目口歯科”と呼ばれ、現代の耳鼻咽喉科と眼科と歯科が一緒に診療されていました。
平安時代の「医心方」30巻(982年、丹波康頼著)は日本最古の医学書で、この中に、歯槽膿漏の治療法や根っこの治療のことが書いてあるのは興味深いことです。
1279年
鎌倉時代「沙石集」(一圓著・無住法師著)の中に、「歯取り唐人」のことが書かれています。
以上、遣唐使・遣隋使の報告意外に、古文書等で歯磨剤の使用の記述が江戸時代まで見られませんが、多分楊枝や指を使って塩や何らかの歯磨剤を使って歯を磨いたであろうと思われます。
一方、西洋では、古代エジプト(BC3000-1500頃)の「練り歯磨き」と「粉歯磨き」のことが全長21mの長さのパピルスに詳しく記載されているのには驚きです。練り歯磨の組成は、下記の如くです。
<煉り歯磨き>
ビンロウ樹の実(タンニン)
緑粘土 研磨剤・粘結剤
蜂蜜 粘結剤、甘味料として
火打ち石(石英の一種) 研磨剤
緑錆 細菌抑制効果 殺菌作用
研磨剤に使われる緑粘土は、ナイル川が氾濫したときに運ばれた肥沃な土のことで、この土を髪の毛につけ、棒に髪の毛を巻き付けてカールさせたと言われています。これがパーマネントの始まりです。クレオパトラもこの緑粘土を使ってパーマネントしたそうですよ。
帝政ローマ時代の歯磨剤は、動物の骨を焼いた骨灰や卵の殻を焼いた灰を用いて歯磨き粉をつくったそうです。時には、含嗽剤として朝夕に採った少女や、処女の尿で含嗽したという。この尿による含嗽はなんと18世紀まで続いたそうで、有名な歯医師達も効果があると思ったそうです。
そもそも、むし歯の原因は、AD1世紀の古代ギリシャ時代から、18世紀まで「歯を喰う虫」と歯医者もそうしっかりと思いこんでいました。19世紀初頭から、どうも違うようだと疑いが始まり、20世紀になってやっと、細菌による酸産生が原因であることがわかりました。
ずっと飛んで14世紀へ
14世紀のフランスでは、蜂蜜と焼塩と酢を混合した歯磨剤や、野生のハッカや胡椒入りの白ワインで含嗽した。15世紀頃、まず、ニッキ(桂皮)などを入れたワインで含嗽し、その後に、蜂蜜と砂糖の混合物や、野ウサギの頭蓋骨骨灰と焼き塩を蜂蜜で糊剤にしたもので磨いたという。歯磨剤の中にワインや尿や酢を使ったのは、むし歯の原因は「歯を喰う虫」であることからの発想でしょう。
16世紀にはタバコの灰を歯磨き粉に応用したものもあった。たばこは、1492年コロンブスがアメリカ大陸を発見した際に、ヨーロッパに持ち帰ったものである。
また日本に戻って、江戸時代には日本独自の江戸処方とも言うべき歯磨剤の製造と商品化が行われた。
まとめると、
・江戸処方での歯磨剤の製造と販売が行われた。
・製造した歯磨剤の宣伝文が見られる。
・有名人が副業で歯磨剤を製造、販売した。
・刃傷 松の廊下。 吉良と赤穂藩の塩歯磨きのシェア争い。
・番付けされた江戸処方の歯磨剤
・江戸名物の歯磨き売りの登場
1625年(寛永2年)日本で初めて歯磨剤の製造と販売(商品化)をしたのは丁字屋喜左衛門である。当時、朝鮮半島から来た人々から、歯磨剤の作り方を習い、製造した。主成分は琢砂と言われる陶土である。これを研磨剤にしたのでは相当、歯がすり減ったであろうと想像されます。当時の書物には「唐津や伊万里の土を良しとする」とあり、九州の焼きののの産地の土がよかったのであろうか。
実際には、当時の歯磨剤は砂や陶土を使っており、これが江戸時代の特徴でした。
明治時代になって海外から安全な研磨剤成分が入ってくるようになりました。
1789~1800頃、江戸時代の文筆家や浮世絵師が書いた歯磨剤の宣伝文(引札)が多く見られました。たとえば、式亭三馬、平賀源内、十返舎一九、為永春水などが有名です。引札を書いたのは、式亭三馬や平賀源内などです。
式亭三馬は、自作の中で歯磨剤や化粧の効能を派手に宣伝をしました。歯磨剤は「箱入り匂い歯磨 剤」、お化粧は「化粧水」、老人女性用の厚化粧である「老婦人化粧」やその他「毛はえ薬」などを製造・販売しました。一方、滝沢馬琴は自作の本の巻末に控えめに宣伝を載せました。万病薬の「奇応丸」や、歯磨剤の「蛤処方」などが有名ですが、馬琴自身が製造した歯磨剤を使ったであろうが、50半ばで総入れ歯になったと言うからビックリです。効能の程度がおわかりでしょう。
1701年と言えば、あの有名な松廊下での刃傷。吉良藩と赤穂藩との塩歯磨きのシェア争いがこの原因の一つだと言われています。当時、塩と言えば吉良、吉良といえば塩と言われるくらい、天皇、将軍家では吉良の饗庭(あえば)塩が独占状態でした。ところが、塩の作り方を吉良藩に習った赤穂の塩の方が評判が良く、塩歯磨きのシェア第1位は赤穂、2位が吉良、3位が行徳と、1位と2位が逆転しました。
五代将軍綱吉が赤穂の焼き塩(花形塩)が気に入り、それで歯を磨いた。それで吉良が激怒したのです。それが原因の一つと言われています。もちろん浅野のお殿様にもいろいろと問題があったとも言われております。どっちもどっちだったのでしょうか、定かではありません。
1809~23年 頃、江戸時代の歯磨剤は歯磨剤の品位によって番付けされました。
「歯磨きや、十四品の花の軒」によると、江戸に14軒の歯磨き売りの問屋があった事がわかります。
ランク順に書くと、
・京都の松井七郎平の歯磨、
・江戸の丁字屋喜左衛門の大明膏、
・芝日本橋小野玄入(兄)の「乳香散」、
・式亭三馬の「梅紅散」、
・歌舞伎役者の尾上菊五郎(1815襲名)の「匂ひ薬歯磨」、
・瓢箪屋次郎左衛門の「団十郎歯磨」など、
その他多数販売されたそうです。この他に、歯磨き粉は、荒物屋や湯屋(風呂や)、神社の境内の露店で、爪楊枝や房楊枝と一緒に売られたそうです。
最後に、江戸名物の歯磨き売りの登場です。店を構えずに、歯磨き粉や楊枝などを売って回った人々のことです。主に下記の4つのパターンで江戸の町をにぎやかに売り歩いていたようです。
・曲まり(元禄時代 1701年頃) ・独楽回し(1726年頃)
・太刀の居合い抜き(1836年頃) ・おはようの歯磨き売り(1853年頃)
1726年頃の”独楽回し ”
同年 11月13日、松井源水の”独楽回し”をしての歯磨き粉の販売が有名です。徳川吉宗に博多独楽と枕返しの芸を披露し、其の褒美として「御成先御用」の符を拝領したそうです。そして1735には名字帯刀を許され、更には家紋に「立葵」をつけることが許されたそうです。すごいですね。この松井源水の名は室町から大正まで17代続きました。18代となった松井隆弘氏は東京歯科医専を卒業し、組織学を担当しました。東京歯科大学の名誉教授になりました。
1853年頃の”おはようの歯磨き売り ”
特に有名だったのは、1853年嘉永6年の百目米吉で、彼はたくさん買ってくれると歌舞伎役者の声帯模写や百面相して寄席の芸を見せた。浅草の大恩寺(大音寺)前に店もあったらしい。「お早う、お早う」と言いながら毎日売り歩いたそうです。
私が子供の頃、朝早く「おきうとに、納豆に、もろみ-!」とか、ラッパ拭きながら「豆腐!」とか「あさり!」など自転車に乗っていろんな物を売ってたのを思い出します。
この頃、アメリカでは既にチューブ入り練り歯磨きが初めて発売されました。これは驚きですね!練り歯磨の容器として押出し式チューブが使用されるようになったのは1850年(嘉永3年)にアメリカでできたシェーフィールド練り歯磨が最初だと言われています。(日本では、60年後の明治44年・1911年にライオンが発売した「ライオン固練りチューブ入り歯磨」が最初です。)
明治になって
・西洋処方の歯磨剤やアメリカ処方の歯磨剤が登場。
・”資生堂 ”や”ライオン ”の誕生。
明治になると、西洋処方の歯磨剤やアメリカ処方の歯磨剤に次第に変わっていきました。この処方での研磨剤は現代の歯磨剤のものとほぼ同じ質のものです。ですから異常に歯がすり減ったりする事は確かに少なくなりました。
明治5年6月、わが国で最初の西洋処方の歯磨剤の「ドイツ医処方西洋歯磨粉」や「君が代」、「君が 香」が発売されました。明治11年11月には、アメリカ処方の歯磨剤の「延齢散」、「君が袖」が発売されました。
ついに、資生堂やライオンの誕生です。明治時代にすでに会社ができていたのです。凄いですね!明治23年、「日本初の練り歯磨き」福原商店(現資生堂)がDr.長井長義の分析証明つきで「福原衛生歯磨石鹸」と言う名前で発売されました。海軍の軍艦用として使用されたようです。我が国の練り歯磨き第一号です。明治29年には、ライオン歯磨の名で滋善券をつけたライオン歯磨が製造・販売されました。
この慈善券は、当時大いに役立ったそうです。粋なことをするライオン社長の小林さんですね!
明治44年(1911年)には、ライオンが日本初のチューブ入り歯磨剤の「ライオン固練りチューブ入り歯磨」を発売しました。
大正時代の記録としては
大正5年には、ライオン以外のメーカーがチューブ入りハミガキの製造をはじめたことです。日本国内ではチューブはまだ生産していませんでした。当時ライオンはこの高価なチューブをわざわざアメリカから輸入したのです。
大正16年6月、「ライオン児童歯科院」を、東京は山城町(現中央区銀座)に開設し、いよいよ小児歯科治療の幕開けです。
昭和になって(昭和の歯磨き年表)
歯磨剤や歯ブラシの製造・開発・改良と、色々と活発になってきました。
主な歯磨剤や歯ブラシに関係するものをまとめて、年表として掲載します。
昭和 9年
潤性粉歯磨き発売 従来の粉歯磨きにかわって登場した。
昭和10年 明治21年頃から輸入が続いていた歯ブラシの刷毛に使った豚毛の輸入がこの頃から減少し
始めた。
昭和10年 歯ブラシの刷毛には長い間中国の豚毛が用いられていが、昭和10年頃か
らは豚毛の輸入が減少した。
昭和12年 日本初の缶入ライオン子供薬用歯磨きの発売。当時の新聞広告にも掲載
昭和14年 日本初の歯槽膿漏用歯磨剤発売「ネオパラデント」 瓶入り
昭和14年 アメリカのウエスト博士がつくった「ミラクル・タフト歯ブラシ」。
これが世界最初のナイロン歯ブラシ。
昭和15年 世界的に歯ブラシの植毛に人工の線維が用いられた。柄も獣骨からセル
ロイドに変わっていった。
昭和23年 日本初のフッ素入り歯磨剤「ライオンFクリーム」発売。
昭和25年 アンモニウムイオン ビタミンK配合のライオン練り歯磨き
(錫チューブ製)発売。
昭和26年 「ライオン歯ブラシ新1号」熱消毒に耐えられる樹脂を柄に初めて使
用。
昭和28年 泡が出る歯磨剤「パール歯磨」を資生堂が発売
昭和31年 初の透明歯磨剤 「ソフトライオン」 歌手の雪村いずみを宣伝に起用
した。
昭和32年 「スーパーライオン潤製」を発売 スーパーマンにあやかって売った。
昭和32年 「グリーンライオン発売」 クロロフィル配合の練り歯磨き。
昭和34年 「クリームライオン」発売 ホルモン誘導剤配合。
昭和35年 「ナイトライオン」発売 ホルモン誘導剤配合。
昭和36年 「ホワイトライオン」発売 アメリカで電動歯ブラシが発売される。
昭和37年 愛煙家の歯磨剤「タバコライオン」を発売。
昭和39年 「デンターライオン」歯周病の歯磨剤。10.10 東京オリンピック開催。
昭和39年 「ローリングライオン歯ブラシ」歯と歯肉の歯ブラシ。
昭和43年 「エチケットライオン」
昭和44年 「バネットライオン」歯ブラシ発売。
昭和45年 「ホワイト&ホワイト」 初のラミネートチューブ使用。
昭和46年 タバコライオンの高級化「ザクトライオン」発売。
昭和50年 「デンターライオン」歯ブラシ発売。
昭和54年 「ザルツライオン」発売 日本初の塩入り歯磨剤。
昭和55年 「ビトイーンライオン」歯ブラシ発売。
昭和56年 酵素デキストラナーゼ配合の「クリニカライオン」歯磨剤発売。
昭和57年 「デンターTライオン」歯槽膿漏治療薬のトラネキサム酸配合
「ライオデント」入れ歯用歯ブラシ発売。
平成6年 「デンターシステマライオン」ポケットに働いて歯周病予防する歯磨剤。
平成9年
「ミクロクリーンライオン」歯周病・ウ蝕・口臭の原因菌の殺菌して
3大トラブルを予納する歯磨剤。
平成9年 「キシリデントライオン」虫歯の原因菌をおさえるキシリトールを配合
したウ蝕予防歯磨剤を発売。
平成10年
「デンターハーブコートライオン」歯磨剤を発売。これは天然ハーブの
力で歯周病を守る歯磨剤。